【todoro】ニュースレター No.26 言葉の力
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こんにちは('-')/
todoroの平岡です。
6月とは思えない暑さが続きます。日本だけでなくヨーロッパやインドでも記録的な暑さが報じられていますね。
四季ならぬ二季なんて表現されることもありますが、年々春と秋が短くなる一方。暑くなるにしても少しずつでお願いしたいところです。そんなことを言っている間に今年も梅雨に入るんでしょう。
おかげ様で月1回のニュースレターも3年目となりました。読んでくださる方がいることが、そっくりそのままモチベーションになっています。今月もtodoroから言葉を綴ってお届けします。
そんな今月は言葉の話。
言葉というのはつまり「意味のある文字の塊」のことですが、文字や言葉というのは不思議なものですよね。
字(文字)、語(言葉)、文(文章)、本(書籍)と、その集まりや塊が大きくなるにつれて、言いたいことや伝えたいことも大きくなり、複雑さを増していきます。それが物語になると、頭の中が映画館のようになったり、目をつぶると映像で再生されることもあります。
盲ろう者で東京大学の教授をされている福島智さんは、著書の中で「日本沈没」で有名な小松左京さんとの出会いについて書かれています。盲ろう者の方にとって映画館とは「何も起こらない場所」だそうです。それに対して点字で物語が読める本というのは「映画館よりも映画館な場所」であるようです。もう10年以上前になりますが「生きるって人とつながることだ!(著 福島智 素朴社)」と「指先で紡ぐ愛 (著 光成沢美 講談社)」の2冊をとても興味深く拝読しました。
そういえば晴耕雨読なんていいますが、梅雨と読書も相性の良いものですね。
言葉は言の葉。言霊(ことだま)といって、目に見えない力が宿るとも言われます。
これは、ある種「非科学的な」話のように思えますが、日常的な体験として、言い方ひとつで受け取った側の気分が大きく変わることを考えると、どちらかというと「当たり前の話」に近い気がします。
特に、祝福する言葉のことを言祝(ことほ)ぎといい、寿(ことぶき)とも同じ言葉を指します。いわゆるおめでたい席でよく目にしたり、耳にしたりするものです。
「祝う」の逆が「呪う」であり、相手に災いや悪いことが起こることを願う、とても忌まわしく、禁忌ともいえるネガティブな行為です。呪詛(じゅそ)ともいいます。
このようなネガティブな言葉は、程度の差があれど、嫌味、泣き言、負け惜しみ、恨み節としても人の前に現れます。人を呪わば穴二つとは、まさにその通りで、呪詛を口から放たば、放ったその口から呪われていくのではないでしょうか。
翻ってその逆はどうでしょうか。いつもポジティブな言葉と振る舞いで、相手を鼓舞し、勇気づけてくれる人がいます。そんな人には、またすぐに会いたくなるし、スマホの通話ボタンを押す指も軽いというもの。そのような人の周りの空間には、常になにかこうハートマークのようなものがふわふわ漂っているのが見えてくる気がします。
そして日本には、そのような言霊文化を象徴するユニークな風習があります。
それが「子供の名付け」です。
「名前に何らかの意味は特に無い」という国は多く、たとえば宗教上の洗礼名であったり、親戚や親と同じ名前を付ける、という風習が多い中で、日本を含むアジア各地では「名前に意味をもたせる」という文化をもつ地域があります。
子供の名付けというのは、語感、響き、リズム、苗字との兼ね合い、読みやすさ、字の形、同じ読みの他の言葉の意味、年代による印象の差や、現代においては外国語での発音に至るまで、たくさんの要素を考慮する余地があるため、必ずしも意味だけが最優先されるわけではないのですが、実際にはかなりの割合の方が意味や願いを込めて付けられているのではないでしょうか。
また、中国や日本などでは、生き物には本当の名前があると言われています。諱(いみな)といい、忌み名と当てます。それに対して、普段使うための名前は字(あざな)といい、いわゆる呼び名のことです。
その生き物の真の名前(つまり忌み名)というのは魔力をもっていて、忌み名を人に知られてしまうと、その人の言いなりになってしまう、という言い伝えや考え方があります。
映画「千と千尋の神隠し」でも、主人公の千尋と登場人物ハクの間で、忌み名がどれほど大切なものか、メインストーリーの鍵として描かれています。
名前に込められた想いを大切にする文化、大事にしていきたいものですね。
それでは最後に、このニュースレターを受け取られた方に素敵な出来事が訪れますように。
またニュースレターでお会いしましょう('-' )\m/