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【todoro】ニュースレター No.21 脳とデジタルとアナログ

あけましておめでとうございます。
todoroの平岡です。

世間では昨日から日常生活が動きだしたな、という感覚がありますね。今週はじっくり慣らし運転でいきましょう。

おかげさまで20通を超えたニュースレターですが、今年も変わらず第一火曜日にお送りさせていただきます。思いがけず長文でのスタートとなりましたが、今年もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

みなさんにとって昨年はどのような年になりましたでしょうか。

怒涛のように過ぎていった方、人生の岐路ともいえる出来事のあった方、何気ない日常の幸せを噛みしめる日々を穏やかに過ごされた方、色々だったかと思います。

深い悲しみに明け暮れたり、今までにない怒りを味わった方もおられるかもしれません。

昨年、巷でニュースを聞かない日はなかった、と言えるものの一つに「AI」があります。

いわゆる人工知能のことで、その言葉自体は非常に古くから使われてきたかと思いますが、近年にわかに日常に溶け込むようになりましたね。

そんなデジタルなものとアナログなものについて少し触れてみたいと思います。

デジタルとアナログというのは、いいところをうまく補完しあえるものです。正しい理解が今後ますます重要になっていると感じます。

デジタルというのは本来、1と0で表現されるような、記号や数式によるシステム方式のことを指します。パソコンやインターネットはデジタルなものの具体例として象徴的な存在ですね。

デジタルなものは非常に大きなメリットと、同じ大きさのデメリットを孕みます。

これは包丁やニトログリセリンなど、人類と長い時をともにしてきたアナログなものも同じです。そこには非常に大きな二面性があります。

何を隠そうtodoroも実店舗がなく、デジタル店舗のみの展開ですし、現在ほとんどの情報はインターネットによって巡回、収集されるといっても過言ではありません。

災害時にパンクした電話回線に対し、インターネット回線を通じて被災した家族や友人と連絡が取れた事例は、インターネットの重要性を一段とアップデートしました。

その反面、コミュニケーションツールなどにおいては、便利さの影で「LINEいじめ」などの言葉が市民権を得てしまいました。

デメリットは続きます。

「ドーパミン中毒 (新潮新書 アンナ・レンブケ著 恩蔵絢子訳)」によると、ドーパミンという脳内ホルモンは快感を司るホルモンで、やる気などに重要な役割を果たす一方、バランスを損なうと危険なものであるとされています。

麻薬が代表例ですが、手を出すと多量のドーパミンが分泌される一方で、分泌が止まったときにその反動が起こり、落差がそのままダメージになるといいます。

それはシーソーのようなもので、シーソーに乗る錘(おもり)が快感とすると、錘が無くなった時に均衡が破れ一気に地面に叩きつけられるイメージです。

そしてドーパミンには、前回よりも大きな快感でないと快感と感じられなくなる、という特徴があります。

つまり、さきほどの錘は「大きく」「重く」なる一方、というわけです。「大きくなり続け」「いつか必ず爆発する」爆弾を抱えているようなものです。

書籍の中では読書などを含む麻薬的なコンテンツにも警鐘を鳴らします。

たとえば近年、縦型動画デジタルコンテンツが世界中で爆発的に流行しています。今や流行というよりも、もはやライフスタイルの一部といっても過言ではありません。

子供はもちろん、大人が見ても面白いものです。時間があっという間に溶けていきます。

ここで短絡的に「短期的な快感のほうが正しいもの、摂取すべきもの、いいものである」という錯覚が生じるように思います。いわば「快感への費用対効果」のようなものが幼少期から体に刷り込まれてしまっているような状態です。

自分も経験がありませんが、生き方に対する費用対効果みたいなものは、人生が終わったときに初めて体感できるようなものなのではないでしょうか。

ドーパミンが出ない状態は「悪」である、その時間が耐えられない、という状態が生まれてしまいます。

ここに対抗するべくが「アナログ」の存在です。

たとえば「お出汁」や「果物」や「自分の目で見る青空」や「鉛筆で描いた線」のようなものは極めてアナログな存在です。

手が汚れたり、汗をかいたり、めんどくさく、時間のかかる世界。

再現性が無く、変数で構成されていて、常にバラつきと共にある存在です。

0と1ではなく0.185とか0.490627のような、「中間」で構成されているようなイメージです。(上記の数値すらデジタル情報と言えますが…)

たとえば果物というのは子供の教育にも強烈なインパクトをもつ、と考えています。

見た目の色や形もさることながら、口に含んだ時の味は他で代替することができません。それは甘さや酸っぱさがシームレスに変化し、非常に複雑で有機的なものです。

たとえば「桃そのものの味」と「桃味」は似て非なるものです。どちらも美味しいですが、あくまで全く別のものです。

葡萄や梨などは見た目が全く異なるにも関わらず、触感を無視すると、どっちなのかわからないほど味の近いものもあります。「何味」とすら言い切ることができない、体感した人だけが辿り着ける妙な世界です。

味覚というのは視覚に負けず劣らず強い感覚です。脳は予定外のことが起こると活性化するといわれますが、視覚、味覚、触覚を通じて脳が受けた感動は必ず感性の成長へと繋がるような気がしています。

また、企業経営者の出身比率は都会よりも田舎の方が多いといわれます。田舎は自然が多く、多種多様な「予定外の」出来事が発生します。これは私見ですが、幼少期や学生のときに受けた脳への揺さぶりが大きかったことと無関係ではないように思います。個人の思い出としても、突然の雷雨で雨具に着替え自分の背丈ほどもあるリュックを背負って山道を何時間も歩くキャンプの道中は、決して楽しいものでありませんでしたが、自分の経験として強く心に残りました。

あのポケモンも大自然の中で生まれたといわれます。「ポケモンをつくった男 田尻智 (小学館 解説:宮本茂 まんが:田中顕 構成:菊田洋之)」では、大自然の中での出来事を通じて、田尻智さんがポケモンを生み出した様子が描かれます。

なお、果物は高価です。

大人が多少我慢をしてでも子供に果物を与えられるような組織こそ、将来性があり本当に豊かな組織ではないのかなと思います。

アナログというのは、このように、常に脳や目や舌や手や足といったマニュアルなもの、あるいは周りの環境といった自然のものと常に在ります。

デジタルと人間がもはや切っても切れないように、人間が生きていく上で本来アナログこそ切っても切れないものでもあります。

デジタルとアナログと人間が仲良くやっていける世界で生きていきたいものですね。

少し長くなってしまいました。笑

現在hazureが品切れしていますが、1月中旬に入荷予定です。

またニュースレターでお会いしましょう('-' )\m/

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